今回は、アイリスオーヤマ株式会社さんのご紹介です。
同社は1958年に家内工場として前身である「大山ブロー工業」を創業、1991年に現在の社名に改称されました。
日用品から家具家電、LED照明やお米まで約15,000種類の商品を扱われており、
年間1,000点以上の商品を企画開発されています。
国内、海外にも多数拠点を持たれ、
本社がある仙台では、地元のプロ野球 東北楽天ゴールデンイーグルス、
Jリーグ ベガルタ仙台のスポンサーでもあります。
◆始まりは町工場
大量生産が本格化したといわれる1958年、大阪で現社長の父親が「大山ブロー工業」を設立。
主な業務は、メーカーさんからの注文を受け、プラスチック製品を生産するという仕事でした。
しかし、1964年父親が病に倒れ急逝、息子である当時わずか19歳だった青年は、考える暇を与えられる間もなく社長の座に就任する事になったのです。
高校を出たばかりで右も左も分からない中、来る仕事は拒まず全て引き受けたそうです。
その仕事ぶりが認められ、次第に注文や紹介が増え、あふれる程の仕事が入ってきました。
ただ「このまま下請で一生を終えたくない、メーカーになりたい」という強い気持ちが高まっていきます。
◆下請からメーカーに
そして22歳の時、真珠養殖用のプラスチック浮きを開発し、それが大ヒット。
その後も様々なヒット商品を生み続け、高度経済成長期の中、会社は飛躍的に急成長しました。
しかし1973年、オイル(石油)ショックが発生、プラスチック製品の原料は100%原油です。
原油価格が急騰していく中、先高を見越して原油の確保に奔走しました。
原油価格が安定すると、その反動で資産が底をつく程の経営難に陥りました。
オイルショックの教訓を活かし、これまでの「顕在化したニーズ」の製品化から「潜在化したニーズ」を掘り起こし製品化する製品づくりにシフトしていきました。
◆メーカーベンダーとしての成長
本社を仙台に移し「快適生活」をキーワードにプラスチック以外の素材にも注目。
ガーデニングなどの園芸用品、ペット用品、家電等の開発に力を入れ、大ヒット商品を連発し業界ナンバーワン企業にまで昇りつめました。
この時期、小売のチェーン化が進み「買い手市場」となっていました。
逆にベンダー(問屋)が縮小傾向にあり、在庫リスクのある商品は避けられ、メーカーに在庫があるにも関わらず、小売店で欠品が発生するという現象が起きていました。
同社はこの時、様々な製品を取扱い、在庫を持つベンダーとしてのノウハウも積上げており、小売店との直取引を試みました。
しかし、発注先の分散化や、物流の点など小売店にとってのデメリットもあり、直取引に至るまでには相当の苦労を重ね、ついにはメーカーベンダー(製造卸)に成長を遂げました。
◆物流倉庫と工場
メーカーベンダーならではといえるのが、倉庫と工場です。
アイリスオーヤマさんはなんと、物流倉庫内に工場を持たれており、工場と物流倉庫内の在庫移動をロボットで24時間稼働されています。
これにより、工場で生産された在庫の社内間移動のコストや移動で発生する在庫破損などのリスクを低減できます。
また、オフコン時代にコンピュータを導入され、伝票などを帳票化し転記による重複作業やミスを防ぐなど、業務のシステム化で徹底的な無駄の廃止に取り組まれてこられました。
これが、現在の膨大な在庫の生産、保管、流通を管理していく事につながっています。
大手運送会社の伝票が同社システムで作られていたという逸話もあり、いかに早い時期からシステム化されていたかが分かります。
同社は、これまでもこれからも、ユーザー視点の発想でものごとを考え需要を創造しくという事です。
私たちの暮らしを快適にしてくれるどんな商品が登場するのか注目したいと思います。